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2016-10-21

内なる景色

こんにちは。
皆さまのさらなる幸せのはじまりを応援するAyusaraです。

養母が入院してからというもの、横浜と長野を行ったり来たりしています。
養母が入所していた養護老人ホームから見える風景も
病室から見える山の稜線も見とれるほど美しい景色です。
今回の度重なる帰省で、私が安らぐ風景に山は外せない
ということを改めて感じています。

私が育った場所は盆地なので、四方八方山脈に囲まれています。
故郷を離れ歳を重ねても、この「山々に抱かれている安らぎの感覚」が
根にあるのでしょうね。美しい山脈を見るととても落ち着きます。

真っ青な空を背景にそびえる山脈。風にゆれる森の木々たち。
水田と畑と案山子。畦に咲く野の花々。美しい河。鳥のさえずり。
空の隙間の方が少ないくらいの満天の星空・・・
今にして思えば何と言う豊かさと美しさに囲まれて私は育ったのだろう・・・と
とてもありがたい氣持ちでいっぱいになります。

養母の病状はこれ以上の回復が見込めないということで
今入院している急性期病院から転院することを勧められました。
介護型療養施設や特別養護老人ホームを探すために役所と相談を重ね
何軒か紹介された施設を訪ね歩く作業はとても大変です。
そうした骨の折れる作業の一方で、口から食べられず酸素と点滴のチューブに繋がれた
養母を見舞えば「こんなに苦しいのなら、もう死なせてほしい」と訴えます。
私は養母の注射の針が刺さった手を撫でてやることしかできません。
せつない思いでいると、見廻りに来た看護師さんに向かって「この人キライ!」
と言い出します。私が看護師さんに謝りながらたしなめると
「注射が下手くそ!痛くする人!」と大声を出します。しばらくして
「シャンプーしましょうね」と別の看護師さんが来て髪を洗ってもらうと
たちまち上機嫌に。それからは、もうお前は帰っていいよと言わんばかりに
ずっとテレビに釘付けになります。ほとんど3歳児です(笑)

養母というのは母の姉、私の伯母です。母は私が13歳の時に他界しています。
母は病弱だったために幼い頃からことある毎に伯母は母代わりをしてくれていました。
母が亡くなった後、伯母は未婚のまま私を引き取り養母となりました。
私が18歳で上京してから養母は結婚したため私は次第に養母と距離を置くように
なりました。
養母が脳梗塞で倒れてからは身体が不自由になり、しばらくして連れ合いが病死してか
らは養護老人ホームで暮らしてきました。養母とは本当にいろいろありすぎて
私も心身のバランスを崩してしまったこともありましたが、今思えばその体験も
私の生い立ちや境遇も、私を癒しの道へ導いてくれたのかもしれないと思っています。

私はずっとずっと心から寛ぎ安らげる場所を探し求めてきたのだと思います。
山脈に囲まれる盆地みたいな安らかな場所を、守ってくれる誰かを。
でもそうではなかったのです。
その安らかな場所を、守ってくれる誰かを外に求めるのではなくて
自分自身の内に見つけることが真の安らぎなのだと今は信じています。

幸いにも転院先が決まりホッとしたのも束の間。
これまでお世話になった養護老人ホームの退所の手続きや引越し作業が待っています。
住所変更に伴うお役所での様々な手続きも。
でも、養母のことでお世話になったり相談にのってくださる誰もが優しく親身になって
対応してくださる方ばかりなので本当に救われています。
それに、こうして精神的にも身体も神経も疲弊した私を癒してくれる故郷の山々の景色
と自然の恵みにも救われています。

養母のことで帰省する度に温かく迎えてくれる叔父の家族も。
何かあるといつも快く力になってくれる叔母も。
泣き虫、弱虫の私を支えてくれるオットちゃんも。
大切な人たちの優しさを信じながら感謝しながら
この山を乗り越えて行こうと思います。

その先の虹へ☆

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