やっこちゃん
昨年末27日。
ふと思い立ってひとり電車に乗り込み
日帰りで入院中の長野の養母を見舞いました。
養母というのは私の実母の姉、私にとっては伯母にあたる人。
私が物心つかないうちに母は父と別れています。
母は病弱で入退院を繰り返していたから
そんなときはいつも伯母が私の面倒をみてくれました。
私が母から厳しくしかられるといつも
私をかばってくれる存在でした。
私が13歳のときに母が他界したときも
未婚で私を養子に迎え養母になってくれました。
養母は一昨年から入院していて点滴だけで生きていましたが
昨年末に会いに行ったときは両手をベッドの柵に縛られていました。
点滴注射を自分で抜かないようにするためです。
だから、口から食べられず両手も縛られたまま
明けても暮れても天井を見つめながら
夜が明け、日が暮れていく毎日を過ごしていました。
12月27日に私が行くとすごくビックリして
「サンタに願いが通じたよ〜!」と興奮していました。
話をよく聞いてみると
クリスマスは誰も見舞いに来なくてとても寂しかったそうです。
でも、27日に突然私が現れたから
サンタに願いが届いたのだと思ってビックリしたんですって。
その日、私たちは昔話をしながらゆっくり話をしました。
少し痴ほう気味なので、現実とファンタジーの世界を行き来しながらですが。
「この間はね、宝くじが5億円もあたったのよ!
もう驚いちゃって、腰が抜けるかと思ったよ。
でもよく考えたら私、こんな身体じゃ何もできないから
全額〇〇小学校に寄付したんだよ。いいよね?」とか(笑)。
そうかと思うと急に
「お前は優しい良い人と一緒になってよかったね。仲良くね」
と、しみじみした優しい表情で呟いてみたり。
看護師さんが来る度に、私のことを
「私の自慢の娘です」
と紹介していました(汗)
「退院したら何がしたい?」と聞いたら
「旅行に行きたい」と目を輝かせていました。
私は帰りの電車の中で
養母と一緒にハワイを旅しているところを想像しながら帰りました。
その後、まもなく養母の容態は急変しました。
危篤の知らせを受けて、飛び乗った電車の中でホッと一息ついたとき
養母の声が聞こえました。
「急がなくていいよ。明日の朝に行くから」
覚悟はしていたけれど、いざその時を迎えたら
胸が締めつけられて震えてしまっていたから
その声を聞いて落ち着きました。
つい先日、楽しく話をしたばかりなのに
養母の枕元に着いたときにはもう意識はなく
弱々しく息をするばかりになっていました。
でも、不思議。
「やっこちゃん、私はここにいるからね。大丈夫だからね」と言うと
彼女は大きく息を吸い込んだのです。
叔父が駆けつけて、いつものように冗談を言えば
うっすらと笑っているようにも見えました。
「やっこちゃん」という呼び名は
彼女が一番生き生きと活躍していた頃
みんなから慕われて呼ばれていた愛称です。
その頃を思い出してもらえたらと思って
入院してからはずっと、私はそう呼んでいました。
やっこちゃんが会いたかった人全員に見守られて
1月7日20時32分、天国に旅立ちました。
(アレ?翌朝って言ってたよね?でも、間に合ってよかった!)
後で夫に連絡した時に分かったのですが
ちょうどこの時間、東京で仕事をしていた彼は
何かハッとする瞬間があり、気になってすぐに時計を見たら
やっこちゃんが息を引き取った頃でした。
「娘をよろしく」って挨拶に来たのかもね・・・
喪主の私はそれからバタバタと怒濤のような日々を過ごしました。
でも、叔父叔母、従兄弟たちが助けてくれて
行く先々、出会う方々みんながいい方ばかりだったので
万事がうまく運び、本当にありがたかったです。
まだ、いろんな感情が湧き上ってきて泣いたりもしますが
その涙を拭い取るように感謝の氣持ちが溢れてきます。
やっこちゃん、ありがとう。
私は幸せだよ。
だから、安心して天国へ行ってね。
好きだったビールもじゃんじゃん飲んで。
お得意のカラオケナンバーも片っ端から歌って天国で歌姫になってね♪
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「Return」
「いってきます」
と言って 朝 家を出る
世間を一周して
「ただいま」
と言って 我が家へ帰る
「いってきます」
と言って いのちの扉を押した
人生を一周して
「ただいま」
と言って 源へ帰る
よかった
私たちにはみんな
帰る場所がある
(Ayusara 詩集「居心地のいい部屋」より)